日本歴史地名大系 「新宮十郎行家屋敷跡」の解説 新宮十郎行家屋敷跡しんぐうじゆうろうゆきいえやしきあと 和歌山県:新宮市新宮町下熊野地新宮十郎行家屋敷跡[現在地名]新宮市熊野地二丁目市田(いちた)川の左岸、古熊野街道の東側にあった。「西国三十三所名所図会」に「宮戸より浜の王子へ行く道の左なり」とみえ、「続風土記」にも「往還の傍下熊野地の入口にあり」と記す。行家は源為義の第一〇子。姉の丹鶴姫(鳥居禅尼・立田腹女房)とともに新宮の熊野別当家に育ち、新宮十郎義盛と称した。治承四年(一一八〇)以仁王が平家追討の兵を挙げる際、義盛は蔵人に補せられ名も行家とし、王の令旨を奉じて密使として東国へ下った(「平家物語」巻四)。「吾妻鏡」同年四月九日条にも「陸奥十郎義盛廷尉為義末子折節在京之間、帯此令旨向東国、(中略)義盛補八条院蔵人名字改行家」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報