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新居藤右衛門 あらい とうえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

新居藤右衛門 あらい-とうえもん

?-1756 江戸時代中期の機業家。
上野(こうずけ)(群馬県)桐生(きりゅう)の絹買商。享保(きょうほう)16年大間々(おおまま)に対抗して桐生に絹市場を開設し,桐生の絹織物の発展につとめた。元文3年弟の治兵衛がまねいた京都西陣の織工井筒屋吉兵衛のつたえた高機(たかはた)の普及をはかる。宝暦6年2月8日死去。名は道緩(みちのぶ)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

新居藤右衛門

没年:宝暦6.2.8(1756.3.8)
生年:延宝6(1678)
江戸中期の機業家,絹買商。上野国(群馬県)桐生の生まれ。名は道緩。享保16(1731)年に,市日変更などの桐生市「立替」を試み,隣接の大間々絹市に対する桐生での絹取引の地位を向上させた。また,元文4(1739)年には弟治兵衛が招いた京都西陣の織工から,高機による製織技術の導入をはかり,かつ,その技術の隣村機業家への普及をうながした。この技術普及策によって,周藤平蔵ら7人に独占されていた紗綾織技術が,桐生全体の絹織物発展の技術的基礎となった。西陣を頂点とする江戸期の技術独占の体系に,風穴を開けたひとりである。<参考文献>桐生織物史編纂会編『桐生織物人物伝』,『桐生市史』上

(谷本雅之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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