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宇田川玄随 うだがわげんずい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宇田川玄随
うだがわげんずい

[生]宝暦5(1755).江戸
[没]寛政9(1797).12.19. 江戸
江戸時代中期の蘭方医。津山藩医。名は晋,字は明卿,号は槐園。初め漢方を学び,25歳で洋学を志して大槻玄沢に入門。寛政4 (1792) 年,桂川甫周より与えられた J.ゴルテルの内科書の翻訳を完成,翌年『西説内科撰要』 (全 18巻) として刊行した。

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デジタル大辞泉の解説

うだがわ‐げんずい〔うだがは‐〕【宇田川玄随】

[1755~1797]江戸中期の蘭学者。江戸の人。津山藩医。名は晋。号、槐園(かいえん)。オランダの内科書「西説内科撰要」を翻訳。蘭学の発展に尽力した。

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百科事典マイペディアの解説

宇田川玄随【うだがわげんずい】

江戸時代の医学者。名は晋,号は槐園(かいえん)。津山藩医。大槻玄沢らに蘭学を学び,内科を専攻した。著書は多いが《西説内科撰要》18巻は内科学書の最初の翻訳として重要である。
→関連項目宇田川榛斎佐藤信淵ハルマ和解

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇田川玄随 うだがわ-げんずい

1756*-1798* 江戸時代中期-後期の蘭学者,医師。
宝暦5年12月27日生まれ。宇田川道紀(みちのり)の長男。美作(みまさか)(岡山県)津山藩医。桂川甫周(ほしゅう),杉田玄白,前野良沢(りょうたく)らにまなぶ。オランダ人ゴルテル著の翻訳「内科撰要」(日本最初の西洋内科学書)を刊行した。寛政9年12月18日死去。43歳。江戸出身。名は晋。字(あざな)は明卿。号は槐園。訳書に「遠西名物考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宇田川玄随

没年:寛政9.12.18(1798.2.3)
生年:宝暦5.12.27(1756.1.28)
江戸中期の蘭方医。津山藩(津山市)藩医道紀の長子として江戸に生まれる。名は 晋,字は明卿,号は槐園,東海。役者のように色白で言動も柔和だったことから,世人は東海夫人と呼んだ。父の没時に幼少だったため叔父玄叔が家督を相継,その養嗣子となって玄叔の没後に家督を継ぎ,玄叔の娘と結婚した。宇田川家蘭学の初代として,桂川甫周,前野良沢,杉田玄白,大槻玄沢らと共に江戸蘭学勃興期に活躍した。オランダの医者ホルテルの内科書を翻訳し,わが国最初の西洋内科書刊本『西説内科撰要』全18巻を刊行。この書は江戸での刊行途中で玄随が死んだことから大坂に移されて続刊され,京都の小石元俊が続刊の陰の協力者となって完結に至っている。また同書収載の西洋薬物を解説した『遠西名物考』を準備したが未刊に終わった。さらに西洋薬物が化学技術に基礎を置くことに着目し,ブランカルトの内科書付録『製錬術』編を翻訳・紹介して,わが国に初めて製薬化学を導入した。『遠西病考』『西洋医言』『蘭畝俶載』『蘭訳弁髦』などの著作(いずれも未刊)があり,内科系に強い宇田川家の学風を形成する基盤をつくった。没後は浅草誓願寺塔頭長安院に葬られ,関東大震災後に多磨霊園に改葬され,さらに平成1(1989)年津山市西寺町泰安寺に移された。<参考文献>宗田一「宇田川家三代の実学」(『実学史研究』Ⅴ)

(宗田一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

うだがわげんずい【宇田川玄随】

1755‐97(宝暦5‐寛政9)
江戸後期の蘭学者,蘭方医。津山藩医の長子として江戸に生まれ,父の没時幼少であった玄随は,叔父玄叔が家督をついでその養嗣子の形をとった。名は晋,字は明卿,槐園・東海と号した。役者に似た色白のやさ男であったので,世人は東海夫人とあだ名した。宇田川家蘭学初代として,前野良沢,杉田玄白らと同時代にあって活躍し,ゴルテルJ.de Gorterの内科書を翻訳して《西説内科撰要》を刊行,それと並行して西洋内科に必要な西洋薬物書《遠西名物考》を準備し,さらに西洋薬物が化学技術に基礎をもつことをつとに洞察してブランカールトの内科書付録《製錬術》を翻訳して,日本へ初めて製薬化学を導入した。

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大辞林 第三版の解説

うだがわげんずい【宇田川玄随】

1755~1797) 江戸中・後期の蘭医。江戸の人。津山藩医。名は晋、号は槐園。杉田玄白・前野良沢に蘭学を学び、日本におけるオランダ内科書「西説内科撰要」を翻訳出版。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇田川玄随
うだがわげんずい
(1755―1797)

江戸後期の蘭学者(らんがくしゃ)。美作(みまさか)国(岡山県)津山藩の儒医宇田川道紀(どうき)(1710―1760)の嗣子(しし)。名は晋(しん)、字(あざな)は明卿(めいけい)、槐園(かいえん)・東海と号す。幼時より性格は温柔寡言、孝経などを精読、25歳のとき、西学説に感服して学び始め、杉田玄白(げんぱく)、前野良沢(りょうたく)、桂川甫周(かつらがわほしゅう)の門に入った。とりわけ甫周はその才を愛し、ゴルテルJ. de Gorter(1689―1762)の内科書の翻訳を勧めた。玄随は刻苦10年、1793年(寛政5)『西説内科選要』18巻を刊行、この書で病気を分類して55種をあげ、術語はラテン語と漢方術語との対応に留意している。刊行前、大槻玄沢(おおつきげんたく)は蘭方内科書として簡略すぎることを指摘したが、玄随は道を開くものとしてあえて刊行した。本書により本格的な内科学の原型が生まれ、その後の発展を促進した。晩年補訂の稿をおこしたが脱稿せぬまま、寛政(かんせい)9年12月18日に没した。補注は養子榛斎(しんさい)が完成し、門人藤井方亭(ほうてい)(1778―1845)が1822年(文政5)に増補重訂版18巻を刊行し、師弟相承して大成した。玄随の著作には、ほかに『西洋医言』『遠西名物考』『遠西草本略』『東西病考』などがある。東京・浅草の誓願寺に葬られたが、のち多磨霊園、さらに津山市西寺町泰安寺に改葬された。[末中哲夫]
『『備作医人伝』(1959・岡山県医師会) ▽藤野恒三郎著『医学史話――杉田玄白から福沢諭吉』(1984・菜根出版)』

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世界大百科事典内の宇田川玄随の言及

【西説内科撰要】より

…日本で刊行された最初の西洋内科翻訳書。江戸詰の津山藩医宇田川玄随(槐園)がオランダ人ゴルテルJ.de Gorterの内科書(1744)を訳して1793年(寛政5)から江戸で刊行開始し,玄随の没後に出版元が大坂に移って数転,十数年を経た1810年(文化7)に全18巻が完結した。本書によって,それまで外科系志向であった日本の西洋医学は,内科系を加えて発展するようになり,西洋内科医を標榜する者も出るようになった。…

【メランコリー】より

…ヨーロッパ語としてのメランコリーがいつ日本に初めて伝えられたかははっきりしないが,江戸期の蘭方医がこれを仲介していることは確かである。たとえばゴルテルJohannes de Gorter(1689‐1762)の内科書(1744)を宇田川玄随が邦訳した《西説内科撰要》全18巻(1793‐1810)には,メランコリアを漢字に当てた〈黙朗格里亜〉の用語が,その意訳である〈胆液敗黒病〉とともに現れており,ついで,小森桃塢(とうう)(玄良)(1782‐1843)らによって〈鬱証〉〈鬱愁〉〈鬱狂〉などの訳語が提出されたあと,おなじく小森の編集になる《泰西方鑑》全5巻(1827)にいたり,ようやく〈鬱憂病〉の語が〈メランコリア〉のルビをつけて登場する。こうしてヨーロッパ的なメランコリーが,日本的な〈気鬱〉と結びつくわけだが,既述のとおり,前者が古代ギリシア・ローマ医学の体液病理学から発しているのに対し,後者は東洋医学に支配的な〈気〉の病理学に由来しており,この病理学上の差はメランコリーと日本的〈鬱〉との症候論上のちがいをも導いている。…

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