新川西村(読み)しんかわにしむら

日本歴史地名大系 「新川西村」の解説

新川西村
しんかわにしむら

[現在地名]串良町新川西

串良郷川西村の東、東流する肝属川北岸にある。旧河道に沿った自然堤防上の下伊倉しもいくら、旧砂丘上の唐仁とうじん小新地こしんち大塚おおつか大塚原おおつかばら・新川西に集落が南北に並ぶ。新川西から肝属川河口柏原かしわばるまでは江戸時代中期以前は潟となっていた。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳などでは中別府なかべつぷ村の一部に含まれるとみられる。「三州御治世要覧」には新川西村とみえ、延享(一七四四―四八)頃の高二千五二〇石余、明和九年(一七七二)には検地・門割が実施されたとみられる(「鹿児島県協力高事件整理書」黎明館蔵影写本)。旧高旧領取調帳では高一千九五〇石余。文化七年(一八一〇)、伊能忠敬一行は五月二一日波見はん(現高山町)から当村字笹塚ささつかまでを測量、習二二日は笹塚から池之原いけのはら村へ向かっている(伊能忠敬測量日記)。「九州東海辺沿海村順」では、中別府村の家数二三四軒のうち一六軒が下井倉しもいくら(下伊倉)にあると記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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