朝日日本歴史人物事典 「新庄直忠」の解説
新庄直忠
生年:天文11(1542)
安土桃山・江戸時代前期の武将。直昌の次男。刑部,刑部左衛門。父直昌が,細川晴元に従って三好長慶と合戦し討死したとき,兄直頼,弟直寿らと共に居城の新庄城(滋賀県近江町)にこもっていたが,長慶軍の進撃を恐れて退城。その後は足利義晴に仕え,さらに織田信長,豊臣秀吉に仕えた。文禄1(1592)年朝鮮に出陣し,のち秀吉から近江国(滋賀県)浅井,蒲生,坂田,栗太,伊勢国(三重県)安濃5郡のうちより1万4600石余の領地を与えられた。関ケ原の戦では領地を失うが,徳川家康より召し出され,近江国坂田郡柏原の旅館守護やその近辺の幕領の代官を命じられた。元和3(1617)年,5年には,同旅館にて徳川秀忠を饗応している。
(宇野日出生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報