新庄直頼(読み)しんじょうなおより

改訂新版 世界大百科事典 「新庄直頼」の意味・わかりやすい解説

新庄直頼 (しんじょうなおより)
生没年:1538-1612(天文7-慶長17)

安土桃山時代武将。駿河守,のち宮内卿法印。直昌の子。蒲生氏一族で近江坂田郡新庄を本貫とし,同郡朝妻城に拠る。豊臣秀吉に仕え,山崎城,大津城などの守将を経て,1595年(文禄4)摂津高槻で3万石を領する。関ヶ原の戦では子息直定とともに西軍に属して伊賀上野城占拠戦後改易されて会津蒲生秀行に預けられる。1604年(慶長9)徳川家康に召し出され,以後常陸麻生で3万0300石を領した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新庄直頼」の解説

新庄直頼 しんじょう-なおより

1538-1613* 戦国-江戸時代前期の大名
天文(てんぶん)7年生まれ。新庄直昌長男。豊臣秀吉,秀頼(ひでより)につかえ,摂津山崎城,のち高槻(たかつき)城による。関ケ原の戦いでは西軍にくわわり,伊賀(いが)上野城を攻略。戦後,会津(あいづ)に流されるが,慶長9年ゆるされ,常陸(ひたち)(茨城県)などに3万300石をあたえられ,麻生(あそう)藩主新庄家(第1次)初代となる。慶長17年12月19日死去。75歳。通称は新三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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