新羅江庄(読み)しらぎえのしよう

日本歴史地名大系 「新羅江庄」の解説

新羅江庄
しらぎえのしよう

摂津国西成にしなり東成ひがしなり両郡界にあった東大寺領庄園。大治五年(一一三〇)三月一三日付の東大寺諸庄文書并絵図等目録(百巻本東大寺文書)所引の天平勝宝二年(七五〇)四月一二日付民部省符に当庄の四至として「東安曇江 南堀江 西百姓家 北松原」と記される。安曇あずみ江を現北区野崎のざき町付近とする説が有力であるから、当庄はその西方に位置していたことになる。

新羅江庄が史料に現れるのは平安時代以降であるが、東大寺は早くからこの付近に土地を集積していた(→安曇江庄。このうち西成郡三野みの郷の地は平安初期までに地積が増加し、西国にある東大寺の封戸・庄園から物資を輸送して一時保管する倉庫や事務所なども設置されていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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