日本歴史地名大系 「日下津城跡」の解説 日下津城跡ひげつじようあと 広島県:高田郡向原町坂村日下津城跡[現在地名]向原町坂西流する三篠(みささ)川がつくる谷の入口近くの南側、保垣(ほがき)から北に張出した山塊を背後に、空堀で区切った独立丘陵状の地にあり、比高一〇〇メートルの最高所から西へ段階状に七段の郭を並べる。東北の山麓には居館跡とみられる平坦地が残る。正平五年(一三五〇)それまで属した足利尊氏に背いて足利直冬と結んだ毛利親衡は、一族とともに本拠吉田(よしだ)庄に拠ったが、安芸国守護武田氏信に敗れたのを手始めに敗戦が続く。同七年(文和元年)六月よりは坂(さか)にあった城にこもり丸五ヵ月間武田勢の攻撃に屈せず、一一月に及んで援軍を得て武田勢を破った。文和二年(一三五三)三月二二日付の吉川実経軍忠状(吉川家文書)に「同(元和元年六月)十五日、毛利備中守親衡楯籠坂城之間、(下略)」「同廿日武田六郎殿御返之時、則御共仕、迄于十一月八日六ケ月之間、彼城取巻、日々致合戦之処、十一月八日終夜武田甲斐守相共致合戦畢」とあるのがそれである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by