日本大百科全書(ニッポニカ) 「日台平和条約」の意味・わかりやすい解説
日台平和条約
にったいへいわじょうやく
第二次世界大戦における日本と中華民国との間の戦争状態を終了させるために両国間に結ばれた条約。日華平和条約ともいう。1952年(昭和27)4月28日台北(たいほく/タイペイ)で署名、同年8月5日発効。日本は多くの(48の)連合国との間では1951年9月8日サンフランシスコで対日講和条約を締結したが、中国では49年に中国共産党による北京(ペキン)政府が成立、国民政府は革命に敗れて台湾に逃れ、サンフランシスコ会議招請国のうちイギリスは北京政府、アメリカは国民政府を承認し意見が分かれたため中国政府は同会議に招かれず、いずれの政府と平和条約を結ぶかは日本の意思にゆだねられた。実質上アメリカ占領下にあった日本政府は国民政府を相手に選んだが、1972年9月29日、日中国交正常化に伴い、日中共同声明発表と同時に日本政府は本条約を失効させた。しかし、経済関係を中心に日本と台湾との密接な関係はその後も続き、72年以来、日本側窓口財団法人交流協会に対応して、台湾側は亜東関係協会(東京都港区白金台)を窓口として交流実務を取り扱ってきたが、92年5月20日から名称を駐日台北経済文化代表事務所と改めた。
[宮崎繁樹]