知恵蔵 「日中国交正常化」の解説
日中国交正常化
中華人民共和国は49年の成立以来、日本との国交がなかったため、一般には「国交回復」ではなく「国交正常化」と称される。
それまでの日本は、52年の日華平和条約締結以来、中国国民政府(台湾)との間に国交を結んでいた。中国と同様に、太平洋戦争において争った隣国であるソビエト連邦共和国(現在のロシア)との間では、56年に国交が回復した。しかし当時の日本では、台湾での権益を持つ親台勢力が与党自民党関係者などに多く、中華人民共和国とは貿易も含めた関係が長らく希薄なままだった。この一方で、米国は中ソ対立などに乗じ、72年、ニクソン大統領(当時)が北京を訪問するなどして、東アジア新秩序構想により、日本の頭越しに米中関係を深めつつあった。このため、日本政府は野党社会党なども巻き込んで、急速に中華人民共和国に接近をはかり、日中共同声明にこぎつけた。日中共同声明によって、日本は中華人民共和国政府を中国唯一の合法政府としたため、日華平和条約は終了。中華民国(台湾)は日本との国交を断絶した。また、78年には日中平和友好条約が調印されている。田中角栄は、日本の親台勢力を押さえて日中国交樹立を遂げたことなどから、中国では最も高名な日本の政治家として「古い友人」と呼ばれ、現在も称賛する声が強い。
2012年は、日中国交正常化40周年を迎えることから、様々な記念行事が計画された。
しかしながら、中国が領有権を主張する尖閣諸島について、石原慎太郎東京都知事らの動きにより日本政府が国有化をすることにしたことなどを巡って日中関係が悪化。日中国交正常化40周年記念式典として、9月27日に北京で予定されていた大規模な記念レセプションは中止、両国首相の祝電交換も見送られる事態となった。
(金谷俊秀 ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報