日本歴史地名大系 「日川村」の解説 日川村につかわむら 茨城県:鹿島郡神栖町日川村[現在地名]神栖町日川常陸利根川左岸にあり、北は知手(しつて)村。応安(一三六八―七五)の海夫注文(香取文書)には「につかハの津鹿島知行分」とあり、鹿島氏が津を統轄していた。天正一九年(一五九一)佐竹氏の一族東義久の知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「仁百四拾九石三斗四升 はき原・につ川」と記される。 日川村につかわむら 茨城県:筑波郡谷和原村日川村[現在地名]谷和原村日川仁左衛門(にざえもん)新田の南、中通(なかどおり)川の東に位置。「寛文朱印留」によれば下総佐倉藩大給松平氏領であったが、正徳二年(一七一二)土浦藩土屋氏領(谷原上郷組)となり廃藩置県に及ぶ。「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)の村高五八〇・七三四石。村内は宿(しゆく)・中谷原(なかやわら)・真木(まぎ)の三坪に分れ、天台宗常光(じようこう)寺があったが廃寺。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by