日戸村(読み)ひのとむら

日本歴史地名大系 「日戸村」の解説

日戸村
ひのとむら

[現在地名]玉山村日戸

にごり川の支流官代かんだい沢に沿い東西に長く、南は川又かわまた村、北は玉山村。「雑書」正保二年(一六四五)七月一日条に日戸とあり、領内の他二五ヵ所とともに駒改が派遣されている。正保国絵図に村名がみえ、高八二石余。寛文五年(一六六五)高一千石の野田左近の知行地となり、その際の替地百姓小高(長野文書)に百姓三六名の名前と、内ノ平・観音堂・朴平などの地名が記され、合計高は二五〇石余であった。天和二年(一六八二)の日戸村百姓小高帳(同文書)では高二八四石余で、ここにも多くの小地名が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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