日白村(読み)ひじらむら

日本歴史地名大系 「日白村」の解説

日白村
ひじらむら

[現在地名]安来市日白町

荒島あらしま村南部の西に位置し、西は意宇いう郡境で限られる。かつて当地塩田から石皿が出土した。この石皿は径三六センチ・幅二二センチほどの扁平な石の両面を浅くほりくぼめたもので、草木の実などの粒状のものを粉にするときに用いられたものであろう。日白横穴墓群があって五穴が残存している。中世には一帯比知良ひじら保が成立していた。正保国絵図に村名がみえ、元禄十年出雲国郷帳によると高二一四石余、寛文四年(一六六四)には本田高二一二石余。「雲陽大数録」では高二一〇石。江戸時代中頃まで当村北端は荒島村領日白池に接していたが、干拓されて荒島新田となった(→荒島村

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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