日谷村(読み)ひたにむら

日本歴史地名大系 「日谷村」の解説

日谷村
ひたにむら

[現在地名]日南町笠木かさぎ

北から東へ蛇行して流れを変える笠木川左岸に位置し、東は水谷みずたに村。拝領高は六一石余、本免は五ツ六分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高六八石余、竈数一七。安政四年(一八五七)の切畑帳(日南町役場蔵)によると切畑三町八反余の高七石余、物成四石余。「伯耆志」では林八反余、家数一六・人数八一、鑪山として谷中たになか山・福原山・金吹かねふく山があり、産物はアコメ砂鉄。宝暦二年(一七五二)当村の佐吉が銀三貫を鳥取藩に献上している。

日谷村
ひのやむら

[現在地名]加賀市日谷町

直下そそり村の東、三谷みたに川の支流日谷川の中・上流域を占める。夢窓疎石の弟子杲庵の「梅城録」に直下里に「有神祠号檜屋、乃北野君分化也」とあることから、檜屋ひのやはもと直下の垣内でのちに独立して一村となったとする説もある(加賀志徴)。戦国期には日谷城が築かれた。正保郷帳には「火谷村」とあり、高六七二石余、田方三〇町三反余・畑方一三町余、物成高三四三石余。「江沼志稿」では高七二六石余(うち新田高一一石余)、家数五三・人数二一〇、馬一八。小物成は山役四一三匁余と茶役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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