日本歴史地名大系 「日足庄」の解説 日足庄ひあしのしよう 大分県:宇佐市日足庄御許(おもと)山北麓の谷間、現宇佐市日足を遺称地とし、一帯に比定される。封戸(ふべ)郷内に成立した庄園とみられ、史料には日足村などともみえる。宇佐宮弥勒寺領。日足の地名は八幡大神が馬城(まき)峰(御許山)に霊光を現したとき日の光のように輝き、その光がうつったところから名付けられたという。「宇佐託宣集」によると、神亀二年(七二五)弥勒寺の前身弥勒禅院が「日足林」に建てられたという。また天禄三年(九七二)三月一九日に朝廷が貢進した宇佐宮御封三三〇余戸のうち向野(むくの)郷河上の「日足庄」を弥勒寺四王堂に寄進したという。鎌倉時代初期と推定される弥勒寺喜多院所領注文(石清水文書)には「日足堺地二五町」とある。承安二年(一一七二)比売神の神宮寺仲津尾(なかつお)寺座主別当神智は同寺の往古施入帳本公験などを盗み取られたため、当庄庄司権俗(か)別当宗形らの証判を得ている(同年一二月三〇日「神智紛失状案」到津文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by