日野俊基墓(読み)ひのとしもとのはか

国指定史跡ガイド 「日野俊基墓」の解説

ひのとしもとのはか【日野俊基墓】


神奈川県鎌倉市梶原にある日野俊基の墓。扇ガ谷(おうぎがやつ)から化粧坂(けわいざか)を登りつめた山上から北西に続く丘陵一角、葛原岡神社の境内にあり、木立のなかに宝篋印塔(ほうきょういんとう)がひっそりと立つ。日野俊基は後醍醐(ごだいご)天皇の命を受け、執権北条高時の時代に鎌倉幕府を打倒するために立ちあがった公家のひとり。しかし、企てが事前に漏れて京都で捕らえられ、一度は赦されたが、再び討幕を企て、鎌倉に送られた後、1332年(元弘2)にこの地で斬首された。翌年には新田義貞大軍がこの岡を越えて鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府は終焉を迎えるが、歴史上、重要な人物であることから、墓は1927年(昭和2)に国の史跡に指定された。塔は安山岩製で総高113.2cm、相輪は別の石で、塔身に四方仏を表す梵字が刻まれている。JR横須賀線北鎌倉駅から徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

関連語 おうぎ

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む