日野山城跡(読み)ひのやまじようあと

日本歴史地名大系 「日野山城跡」の解説

日野山城跡
ひのやまじようあと

[現在地名]大朝町新庄、千代田町中山、豊平町志路原

新庄しんじよう盆地の南にあたる標高七〇五・四メートルの日野山(火野山)一帯に築かれ、城の中核部は現大朝町新庄にあたる。山陽・山陰を結ぶ交通の要地と山麓の小盆地一帯を押える要害の地である。天文一九年(一五五〇)吉川元春が入城して以来、元春の長子元長の養嗣子広家(元春三男)が天正一九年(一五九一)に出雲国富田とだ(跡地は現島根県能義郡広瀬町)に移るまでの三代四二年間にわたり吉川氏の本拠であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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