旧明倫館跡(読み)きゆうめいりんかんあと

日本歴史地名大系 「旧明倫館跡」の解説

旧明倫館跡
きゆうめいりんかんあと

[現在地名]萩市大字堀内

萩城三の丸の南門、平安古ひやこノ惣門跡の北西一〇〇メートルの地にあった藩校。享保四年(一七一九)五代藩主毛利吉元によって創建された。嘉永二年(一八四九)江向えむかいに移され再建された新明倫館と区別して旧明倫館(古明倫館または古館)とよぶ。江戸の昌平黌を範としたが、最初から武道教育を併せ行った。

全敷地九四〇坪、孔子を祀る聖廟(講堂を兼ねる)、役所(事務室)、礼式・兵学・天文学・暦学・測量学などの教室、書庫・寄宿舎・食堂・射術場と正門を挟んで西に槍術場、東に剣術場、門外馬場などがあった(八江萩名所図画、明倫館差図、長藩学校図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む