早岐浦(読み)はやきうら

日本歴史地名大系 「早岐浦」の解説

早岐浦
はやきうら

早岐はいき瀬戸に臨む浦。古代の速来はやき門で知られるように古くから海上交通の要所であったと考えられるが、中世には彼杵そのき庄のうちとしてみえる。

〔中世〕

年欠八月三日の頼教奉書(尊経閣文庫蔵東福寺文書)に「彼杵庄内早岐浦」とみえ、当浦が京都東福寺から太宰府天満宮に寄進されたという噂について東福寺の長老に尋ねている。当地名を号する早岐氏が鎌倉期からみえ、弘安八年(一二八五)「早岐又三郎清氏」は肥前伊万里いまり浦の田地などを山代栄に押領されたと訴えており、山代栄に参対が命じられている(同年八月一九日「肥前国守護北条時定書下」山代文書)。永仁七年(一二九九)六月二六日の鎮西裁許状(尊経閣文庫蔵東福寺文書)によれば、早岐蔵人広能は宮村通兼らとともに彼杵庄の領家一代一度の検注を遂行しなかったとして彼杵庄雑掌に訴えられ、鎮西探題金沢実政から検注を命じられている。元徳二年(一三三〇)に安蓮が「そのきのしやうはやきのうら」の田地一丁・屋敷一所を堺兵衛四郎入道深(鮎河氏の姻族)に二三貫文で沽却している(同年五月八日「沙弥安蓮沽却状案」青方文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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