早川初瀬(読み)はやかわ・はつせ

朝日日本歴史人物事典 「早川初瀬」の解説

早川初瀬

没年享保15?(1730)
生年:生年不詳
江戸前期の若女形歌舞伎役者。はじめ若衆形,のち若女形に転向元禄14(1701)年より江戸へ下り,初代中村七三郎と共演することで芸を磨いた。得意の軽業芸では生島大吉と一対とされ,若女形の首位を争った。所作事,荒事,濡れ事,愁嘆などすべてに長じ,大吉が夭折したのちは名実ともに若女形の首位となった。宝永7(1710)年,早川権三郎として立役に転向したが評判が悪く,翌年再び若女形へ戻る。しかし若手筒井吉十郎,浅尾十次郎らの人気に押され,評判記でも衰えを指摘されるようになる。晩年は若女形の最高位である巻軸となり,重鎮としての役割を担った。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期

(北川博子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川初瀬」の解説

早川初瀬 はやかわ-はつせ

?-1730 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
若衆方から若女方に転じる。はじめ京坂の舞台にたち,元禄(げんろく)13年江戸山村座に出演。初代中村七三郎と共演して芸をみがき,初代生島大吉とならび称された。一時京坂にもどるが,享保(きょうほう)4年からふたたび江戸で活躍。所作事,濡事(ぬれごと)などを得意とし,あらゆる女役をこなした。享保15年5月15日死去。前名は早川権三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の早川初瀬の言及

【石橋】より

…野郎歌舞伎時代から元禄期(1688‐1704)にかけて〈しゝ踊〉が猿若狂言に結びついてあらわれているが,それらと能との関係は明らかでない。元禄期には水木辰之助が〈今様能狂言〉で《花子しゝのらんぎょく》を演じ,早川初瀬が軽業の石橋を得意とした記録がある。現存最古のものは,1734年(享保19),初世瀬川菊之丞の《相生(あいおい)獅子》,続いて同人の《枕獅子》。…

※「早川初瀬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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