20世紀日本人名事典 「早川幾忠」の解説 早川 幾忠ハヤカワ イクタダ 大正・昭和期の歌人,画家 生年明治30(1897)年3月10日 没年昭和58(1983)年4月22日 出生地東京・深川 別名筆名=早川 雛彦 経歴「アララギ」の島木赤彦らの指導を受け、歌壇にデビュー。大正3年松倉米吉らと「行路詩社」を結成、昭和3年「高嶺」を創刊し主宰。23年「高嶺」を二宮冬鳥にゆずる。25年から京都に移った。短歌と同時に絵、書、篆刻もよくした。錦心流琵琶も免許皆伝で、多才な文人として知られた。国語問題協議理事。著書に歌集「紫塵集」のほか「頭註古今和歌集」「中院歌論」「実感的国語論」「七十有七年」「八十有八年」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by