日本歴史地名大系 「早稲川村」の解説 早稲川村わせがわむら 福島県:田村郡常葉町早稲川村[現在地名]常葉町早稲川、大越(おおごえ)町早稲川関本(せきもと)村・小檜山(こびやま)村の南。南部および西部が大滝根(おおたきね)山(一一九二・五メートル)・仙台(せんだい)平(八七一メートル)・駒(こま)ヶ鼻(はな)・水晶(すいしよう)山などの稜線によって形成される分水嶺に囲まれた、大滝根川の源(早稲川)流域の阿武隈高地の最奥地部。鳶(とび)ノ巣(す)(八〇四・八メートル)・水晶山・駒ヶ鼻に囲まれた五条(ごじよう)以南の早稲川流域は現在大越町に属している。縄文時代早期から晩期にかけての石鏃・土偶を出土する東片草(ひがしかたくさ)・宇道(うとう)などの遺跡がある。仙台平のカルスト台地一帯は蝦夷の族長大多喜丸の伝説を伝え、鬼穴とよばれる鍾乳洞がある。「伊達治家記録」天正一六年(一五八八)五月一六日条に「早稲川右馬助諱不知月斎三男(中略)参上ス」とみえ、田村系図(三春町史)に田村月斎頼顕の三男として早稲川右馬が記され、田母神氏旧記(田母神文書)に北方要害として「早稲川居館早稲川右馬助」がみえる。慶安二年(一六四九)の三春領古城絵図(三春町史)には「早稲川村 城主早稲川修理介 根廻リ四百九十間 高サ二十弐間」、本丸は「芝地二十八間十間」「山ヘ九丁 かさ大藤山」とみえ、「常葉町史」は天正一六年岩城常隆に攻め落されたとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by