旭川村(読み)あさひかわむら

日本歴史地名大系 「旭川村」の解説

旭川村
あさひかわむら

[現在地名]旭川市宮下通みやしたどおり一条通いちじようどおり二条通にじようどおり三条通さんじようどおり四条通よじようどおり五条通ごじようどおり六条通ろくじようどおり七条通ななじようどおり八条通はちじようどおり九条通くじようどおり十条通じゆうじようどおり十一条通じゆういちじようどおり常盤通ときわどおり中常盤町なかときわちよう上常盤町かみときわちよう二条西にじようにし二―四丁目・三条西さんじようにし一―六丁目・四条西よじようにし一―九丁目・南一条通みなみいちじようどおり南二条通みなみにじようどおり南三条通みなみさんじようどおり南四条通みなみよじようどおり南五条通みなみごじようどおり南六条通みなみろくじようどおり南七条通みなみななじようどおり南八条通みなみはちじようどおり宮前通東みやまえどおりひがし宮前通西みやまえどおりにし曙北二条あけぼのきたにじよう五―八丁目・曙北三条あけぼのきたさんじよう六―七丁目・曙一条あけぼのいちじよう一―八丁目・曙二条あけぼのにじよう三―八丁目・曙三条あけぼのさんじよう一―七丁目・亀吉一条かめきちいちじよう一―三丁目・亀吉二条かめきちにじよう一―三丁目・亀吉三条かめきちさんじよう一―三丁目・五条西ごじようにし一―九丁目・六条西ろくじようにし一―八丁目・七条西ななじようにし一―七丁目・八条西はちじようにし一―六丁目・九条西くじようにし一―四丁目など、上川東川ひがしかわ北町きたまち一丁目など

明治二三年(一八九〇)から同三〇年まで存続した村。明治二三年九月旭川村が設置される(布令全書)。明治一〇年頃、鈴木亀蔵が亀吉島に定住し、交易を営んだとされる。同一五年一一月会計検査院長の岩村通俊が北海道巡回後、上川に北京設置を建議


旭川村
あさひかわむら

明治三〇年(一八九七)から同三三年まで存続した村。明治三〇年一月旭川村を割いて東川ひがしかわ村が分立、新たに旭川村が発足。同年七月旭川村に空知ほか四郡役所を割いて上川郡役所を設置、現三条通さんじようどおり一一丁目に開庁。同年一一月同郡役所は上川支庁となる。同月旭川警察署が現三条通一〇丁目に設置。同三一年一月あけぼの遊廓が営業を開始。同年五月上川倉庫株式会社が現宮下みやした通一一丁目右に創業。七月滝川(現滝川市)―旭川間の鉄道が開通、鉄道旭川工場も操業開始。一〇月私立旭川裁縫専門学校が現三条通八丁目に開校

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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