岩村通俊(読み)いわむらみちとし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩村通俊」の意味・わかりやすい解説

岩村通俊
いわむらみちとし
(1840―1915)

明治時代の官僚。土佐藩出身。男爵林有造(はやしゆうぞう)・岩村高俊(たかとし)の兄。土佐勤王党に加わり、戊辰戦争(ぼしんせんそう)には御親兵総取締として従軍、1869年(明治2)政府に入って箱館府権判事(ごんはんじ)、さらに開拓使大判官となり、北海道開拓の基礎を築いた。1873年佐賀県権令(ごんれい)、翌年には大久保利通(おおくぼとしみち)に従って佐賀の乱鎮圧に出張した。さらに1877年鹿児島県令となり、西南戦争中から戦後の県政再建に努めた。のち元老院議官、沖縄県令、司法大輔(たいふ)、北海道長官などを歴任、1888年に農商務次官、さらに翌年には山県有朋(やまがたありとも)内閣に農商務大臣として入閣した。1890年宮中顧問官貴族院議員にも勅選され、翌年宮内省御料局長を兼任して皇室財産の整理にあたった。

[宇野俊一]

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朝日日本歴史人物事典 「岩村通俊」の解説

岩村通俊

没年:大正4.2.20(1915)
生年天保11.6.10(1840.7.8)
明治期の官僚。岩村英俊の長男。林有造,岩村高俊は実弟。岩村通世(検事総長,司法大臣)は5男。幼名猪三郎,通称左内,貫堂と号す。幕末,土佐(高知)藩家老伊賀家の重役を務め,戊辰戦争で上京,御親兵総取締となり越後方面に転戦。明治2(1869)年政府に出仕,箱館府権判事,開拓大判官として札幌の開発,北海道開拓の端緒を開いた。6年佐賀県権令として旧時代の複雑な土地制度の整理を適切に処置,高い行政手腕を示す。権令を弟高俊に譲り工部省出仕に転じたが,佐賀の乱(1874)に際し内務卿大久保利通の随員で佐賀に出張,高俊を援護し反乱を鎮圧。9年山口裁判所長として萩の乱関係者を審問,裁断。西南戦争(1877)勃発後鹿児島県令となり処置に手腕を振るった。その後,元老院議官,会計検査院長,沖縄県令,司法大輔,初代北海道庁長官,第1次山県内閣農商務大臣,宮中顧問官,貴族員勅選議員,御料局長などの要職を歴任。29年男爵。<著作>岩村八作編『貫道存稿』<参考文献>片山敬次『岩村通俊伝』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩村通俊」の意味・わかりやすい解説

岩村通俊
いわむらみちとし

[生]天保11(1840).6.10. 高知
[没]1915.2.20. 東京
明治の官僚,政治家。佐賀県令,鹿児島県令,会計検査院長などを歴任し,1884年司法大輔に任じられ,次々に起る自由民権運動の激化事件に対処,その鎮定にあたった。 86年初代北海道庁長官に就任し,その間,従来の開拓政策に改革を加えるなど北海道の近代的開拓の基礎を築いた。その後元老院議官となり,農商務次官を経て,89年には第1次山県内閣の農商務相となった。宮中顧問官。貴族院議員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩村通俊」の解説

岩村通俊 いわむら-みちとし

1840-1915 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)11年6月10日生まれ。林有造,岩村高俊の兄。土佐高知藩士。維新後,北海道開拓にかかわる。西南戦争戦中・戦後の鹿児島県令。のち初代北海道庁長官,第1次山県内閣の農商務相,貴族院議員。大正4年2月20日死去。76歳。通称は猪三郎。

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