旭玉山(読み)アサヒ ギョクザン

20世紀日本人名事典 「旭玉山」の解説

旭 玉山
アサヒ ギョクザン

江戸時代末期〜大正期の工芸家



生年
天保14年(1843年)

没年
大正12(1923)年

出生地
江戸・浅草今戸

主な受賞名〔年〕
内国勧業博覧会龍紋賞(第1回)〔明治10年〕「髑髏」,日本美術協会特別賞状〔明治34年〕

経歴
僧籍にあったが、少年時代から細工物に優れ、24歳のとき嵌入(はめ込み)彫刻に転じた。明治10年第1回内国勧業博覧会で「髑髏」が龍紋賞(最高賞)受賞。18年石川光明らと彫刻競技会(東京彫工会)を結成。また早くから日本美術協会に参加し、28、36年の勧業博では審査官となり、明治牙彫界に重きをなした。他に「官女」「髑髏置物」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「旭玉山」の解説

旭玉山 あさひ-ぎょくざん

1843-1923 明治-大正時代の彫刻家。
天保(てんぽう)14年生まれ。象牙(ぞうげ)彫刻をまなび,明治10年第1回内国勧業博覧会出品の「髑髏(どくろ)」で最高賞の竜紋賞を受賞。14年石川光明(こうめい)らと彫刻競技会(のちの東京彫工会)を結成した。東京美術学校(現東京芸大)教授,帝室技芸員。大正12年死去。81歳。江戸出身。幼名は富丸。通称は富三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の旭玉山の言及

【明治・大正時代美術】より

…彼らは文明開化の欧化熱や,廃仏毀釈(きしやく)の中で神社仏閣の需要がなくなり,また大名の保護も失われて危機に陥った。ただ精緻な象牙彫刻(牙彫(げちよう))は貿易品として迎えられて活路を見いだし,石川光明(1852‐1913),旭玉山(1848‐1923),島村俊明(しゆんめい)(1853‐96)のような名人が出る。 一方,工部美術学校の彫刻教師としてV.ラグーザが1875年に迎えられ,本格的な洋風彫塑を初めて伝える。…

※「旭玉山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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