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石川光明 いしかわこうめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石川光明
いしかわこうめい

[生]嘉永5(1852).8.18. 江戸
[没]1913.7.30. 東京
彫刻家。旧名藤太郎。家業は代々宮彫師。幼時,狩野素川に日本画を,根付師菊川正光に牙角彫刻を学び,無類の巧技を示した。 1877年光明と改名。 81年第2回内国勧業博覧会で妙技2等賞を受け,90年第3回同博覧会審査官,帝室技芸員となる。当時の日本美術の新しい復興運動のなかで,91年東京美術学校教授となり,また東京彫工会の元老として後進の指導に尽した。 1907年文展審査員となり,以後文展に重きをなした。主要作品はシカゴ万国博覧会出品の『白衣観音』など。

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デジタル大辞泉の解説

いしかわ‐こうめい〔いしかはクワウメイ〕【石川光明】

[1852~1913]彫刻家。東京の生まれ。明治初期に流行した牙彫(げちょう)の第一人者。帝室技芸員。

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百科事典マイペディアの解説

石川光明【いしかわこうめい】

彫刻家。江戸浅草の宮彫(みやぼり)師の家に生まれる。狩野寿信に絵を,根付師菊川正光に牙彫(げちょう)を学ぶ。下町好みの愛玩(あいがん)的な小品に非凡な才を示した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石川光明 いしかわ-こうめい

1852-1913 明治時代の彫刻家。
嘉永(かえい)5年8月18日生まれ。家業は宮彫(みやぼり)師。日本画を狩野素川(かのう-そせん)に,牙彫(げちょう)を菊川正光にまなぶ。明治14年内国勧業博覧会で牙彫「魚籃(ぎょらん)観音」が入賞。23年帝室技芸員,翌年東京美術学校(現東京芸大)教授となる。文展審査員。大正2年7月30日死去。62歳。江戸出身。木彫の代表作に「白衣観音」「牧童」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石川光明

没年:大正2.7.30(1913)
生年:嘉永5.8(1852)
明治時代の彫刻家。江戸浅草に生まれ,本名は勝太郎。狩野寿信に絵画を,菊川正光に牙彫を学ぶ。浮き彫りを多用した技巧的な作風で知られ,明治14(1881)年,第2回内国勧業博覧会に出品した牙彫「魚籃観音像」で妙技2等賞を受賞し,その後も各種美術展に出品して高い評価を得た。また,同20年以降は東京彫工会の中心的な存在として近代彫刻の発展に尽力し,同23年帝室技芸員,その後,東京美術学校(東京芸大)教授,文部省美術展覧会審査員などを歴任した。

(小松大秀)

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世界大百科事典 第2版の解説

いしかわこうめい【石川光明】

1852‐1913(嘉永5‐大正2)
彫刻家。江戸浅草松山町の宮彫師(みやぼりし)の家に生まれる。幼名松太郎。根付師菊川正光に牙彫(げちよう)を学び,下町好みの愛玩的な作品に非凡の才を示した。1890年東京美術学校雇を命ぜられ,翌年彫刻科目の教授に任ぜられた。文展初期の審査員や彫工会の元老として洋風彫塑に対抗して伝統的な彫技の保存指導に尽くした。帝室技芸員。木彫作品もすぐれ,浮彫に特色がある。93年シカゴ万国博覧会出品の木彫白衣観音像(東京国立博物館)が代表作。

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大辞林 第三版の解説

いしかわこうめい【石川光明】

1852~1913) 彫刻家。江戸の生まれ。宮彫り師の家の出で、伝統に基づく木彫り・象牙彫りに優れる。皇居造営に参加。代表作「白衣観音」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石川光明
いしかわみつあき
(1852―1913)

明治の彫刻家。東京・浅草に生まれる。旧名藤太郎。狩野素川(かのうそせん)に絵画を習うかたわら、家業の木彫を学び、菊川正光について牙彫(げちょう)を学んだ。1881年(明治14)第2回内国勧業博覧会で『魚籃(ぎょらん)観音』が妙技二等賞を受け、牙彫の第一人者となる。87年皇居造営に室内装飾を担当、90年帝室技芸員、91年東京美術学校教授となる。文展などの審査員を務め、93年シカゴ万国博覧会で木彫浮彫『白衣観音』が優等賞、1900年(明治33)パリ万国博覧会で牙彫が金賞を受けた。[三木多聞]

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世界大百科事典内の石川光明の言及

【明治・大正時代美術】より

…彼らは文明開化の欧化熱や,廃仏毀釈(きしやく)の中で神社仏閣の需要がなくなり,また大名の保護も失われて危機に陥った。ただ精緻な象牙彫刻(牙彫(げちよう))は貿易品として迎えられて活路を見いだし,石川光明(1852‐1913),旭玉山(1848‐1923),島村俊明(しゆんめい)(1853‐96)のような名人が出る。 一方,工部美術学校の彫刻教師としてV.ラグーザが1875年に迎えられ,本格的な洋風彫塑を初めて伝える。…

※「石川光明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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