野辺にさらされた人の頭蓋骨のことで,〈されこうべ〉〈しゃれこうべ〉(曝頭,曝首の字をあてる),〈野晒(のざらし)〉などともいう。先史時代の遺跡から発見される人類の骨のうち,頭蓋骨とその一部の数は他の骨の数よりも多いことから,頭部ないしどくろが早くから人類の文化に特殊な役割をもっていたことが推論されている。食人の習慣があってどくろを特定の場所に捨てたから今も多く見つかるのだとする説や,特に脳髄を食べた後にどくろを呪術の対象として保存する風習があったためとする説などがある。出土されるどくろに頭蓋底部を欠くものが少なくないので,脳に霊的な意義を見た先史人類がこれを儀礼的にも食べたことは疑えない。子どもの誕生を祝って犠牲者の頭蓋底部をこわして脳を食べた後,どくろをその子が死ぬまで保存しておく風習が,現代でもニューギニアの一部に残るという報告もある。
その形が鉢状であることから,どくろは古くから容器として用いられた。イタリア,チェコスロバキアその他から,底部をくり抜いて鉢としたどくろが出土している。だが,生活上の便宜からだけでなく,後には頭の形状を残すどくろに霊的な意味を付与して杯などを造ったものと想像される。ヘロドトスはスキタイ人が敵や近親者のどくろを眉の下で切り,その外側に牛の生皮を張るなどして杯とした話を伝え(《歴史》第4巻),大プリニウスもドニエプル川の北方にどくろ杯を使用する部族がいること(《博物誌》第7巻)や,てんかんの治療には夜間に泉からくんだ水をどくろに入れて飲ませれば効くこと(同第28巻)を記している。中国には西域の月氏の王の頭蓋骨で血を飲んだ話(《漢書》匈奴伝)とか,どくろ杯を常用した元の呉元甫の例がある。6世紀後半,ランゴバルド族の王アルボインは,王妃ロザムンデに殺害した彼女の父のどくろ杯を与えた。《今昔物語集》天竺部には,菩薩となった悉達太子(しつたたいし)(釈迦)をおどす天魔の2姉妹が,どくろで作った器を手に持っていたとあるし,《屍鬼二十五話》にもどくろの器で血を飲む婆羅門鬼の話がある。近代にもどくろ杯を使用するアフリカの部族の例などがあり,チベットのラマ僧たちは今も宗教的儀式のおりにどくろ杯を用いているという。日本では,織田信長が浅井久政・長政父子や朝倉義景のどくろで酒を飲んだと伝えられている。
どくろには故人の霊や魔力がひそむと考えられたことから,さまざまな風習や伝承が生まれたが,それらはみなキリスト教布教以前か,その影響が及ばなかった地域のものである。タウロイ人は敵の首を長い棒に刺して風雨にさらしたまま屋上高く掲げて,屋敷を守護させた(ヘロドトス《歴史》第4巻)。人のどくろから狂犬病の薬がつくれるとプリニウスは言う(《博物誌》第28巻)。またヒンドゥー教では,ブラフマーが暴風雨神ルドラすなわちシバをつくってこれをカパーリー(〈どくろを持つ者〉の意)と呼び,世界を守護するよう依頼した。シバがこの呼び名に立腹して左母指の爪でブラフマーの首を切ったところ,そのどくろがシバの手について12年間離れなかった(《バラーハ・プラーナ》。同様の話は《クールマ・プラーナ》にもある)。また,キリスト教でさえどくろ伝説と無縁ではない。例えばイエスが処刑された丘の名はヘブライ語でゴルゴタ(〈どくろ〉の意)といい,丘のかっこうがされこうべに似ているためとも,エデンを追われたアダムの頭がこの丘に埋められているための呼称ともいわれる。
日本にもどくろにまつわる話は多い。例えば《日本霊異記》の,奈良山の谷川にあって人や獣に踏まれていたどくろが,これを木の上に移した僧に恩返しをした話のようなどくろ報恩譚も少なくない。落語《野晒》もこの類である。また,花山天皇の頭痛は前世の時のどくろが岩の間にあって雨でふくらむ岩に圧迫されるためと陰陽師安倍晴明が占い,それを探し出して岩から取り除いたら頭痛は治った(《古事談》)。平清盛は内庭に多数のされこうべが集まって14,15丈もある巨大などくろと化したものとにらみ合い,これを退散させている(《平家物語》)。
どくろが生前の姿にもどって恩人と話をするばかりでなく,どくろ自体が口をきく話もある。例えば,竹林にさらされて目の穴にたけのこが生えていたどくろが目の痛みを訴え,たけのこを抜いた男に恩返しをした話や,山で《法華経》を読むどくろに舌が腐らず残っていた話が《日本霊異記》にあるし,物語《二人比丘尼(びくに)》には骸骨姿のどくろの宴が描かれている。風流な例では,眼窩(がんか)からススキの生え出たどくろが〈秋風の吹き散るごとにあなめあなめ〉と上の句を詠み,これを小野小町のどくろと知った在原業平が〈小野とは言はじ薄(すすき)生ひけり〉と下の句をつけた話があり(《古事談》。似た話は《無名草子》にもある),理屈っぽい例には,荘子が枕にしたどくろが夢に現れ死の世界について問答した話(《荘子》至楽篇)などがある。マヤの伝説集《ポポル・ブフ》が記すフン・フンアプーのどくろは精力的で,少女と話をしたばかりでなく,その手のひらにつばを吐きかけて妊娠させている。
外的な自然と人体との間に照応関係を見る考えによって,頭または頭蓋骨は天や宇宙に擬せられている。古代インドの《リグ・ベーダ》の〈プルシャ(原人)の歌〉に,プルシャの頭から天界が形成されたとある。北欧神話では,巨人ユミルの頭蓋骨から天がつくられたとする(《グリームニルの歌》)。頭蓋は宇宙の形に似せて球状につくられているというプラトン(《ティマイオス》)の説は,中世末期以後長く信じられた。現代の解剖学でも,頭蓋骨を支える第1頸椎をアトラス(ギリシア神話の天を肩で支える巨人)と呼んでいる。同様にユダヤ神秘主義カバラの書《ゾーハル》は,世界を包む球状の覆いを〈大頭蓋骨〉と称する。
どくろは死の象徴でもある。インドの死と破壊の女神カーリーはどくろの首飾をつけている(《デービー・マーハートミヤ》)。僧文覚(もんがく)が源頼朝に兵を起こすよう説得する際,父義朝の頭と称するどくろを持参したのも(《平家物語》),父の死を改めて想起させるためだった。一方,西欧ではどくろを死の象徴としたのは遅く,15世紀になってからである。当時,〈死を想え(メメント・モリ)〉の思想と〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉の絵とが人々をとらえ,パリのイノサン墓地では,回廊の納骨棚にさらされた多数のどくろやその他の骨が人々に死が来るのは必定であること,したがっていたずらに生の歓びをむさぼることの空しいことを説いていた(ホイジンガ《中世の秋》)。デューラー,ホルバイン兄弟らが好んでどくろや骸骨を描いたのは15世紀末以降のことである。また,解剖学者ベサリウスの《人体の構造》にある,机上のどくろに触れて黙想する骸骨の絵は,シェークスピアに影響を与えて,ハムレットがどくろを手にして独白する場面の基になったとされる。さらに,《ハムレット》と同じころのS.ターナーの戯曲《復讐者の悲劇》は毒殺された恋人のどくろを使って犯人の公爵に復讐する物語で,死の象徴としてのどくろが主役である。そして,墓の彫刻や教会の絵画にどくろや骸骨を示すことをキリスト教が公認していたために,ルネサンス以後もどくろは死と人間の運命の象徴としてしだいに確立し,現代に至っている。海賊の旗,毒薬のラベル,ドイツのかつての〈髑髏軽騎兵〉の連隊記章など,いずれも見る者に死の恐怖を抱かせるものとして用いられた。
→骸骨 →頭骨 →骨
執筆者:池澤 康郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…野辺にさらされた人の頭蓋骨のことで,〈されこうべ〉〈しゃれこうべ〉(曝頭,曝首の字をあてる),〈野晒(のざらし)〉などともいう。先史時代の遺跡から発見される人類の骨のうち,頭蓋骨とその一部の数は他の骨の数よりも多いことから,頭部ないしどくろが早くから人類の文化に特殊な役割をもっていたことが推論されている。…
…野辺にさらされた人の頭蓋骨のことで,〈されこうべ〉〈しゃれこうべ〉(曝頭,曝首の字をあてる),〈野晒(のざらし)〉などともいう。先史時代の遺跡から発見される人類の骨のうち,頭蓋骨とその一部の数は他の骨の数よりも多いことから,頭部ないしどくろが早くから人類の文化に特殊な役割をもっていたことが推論されている。…
※「髑髏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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