日本歴史地名大系 「明ヶ島村」の解説 明ヶ島村みようがじまむら 静岡県:磐田市明ヶ島村[現在地名]磐田市明ヶ島新貝(しんがい)村の北、太田(おおた)川下流西岸平野部および磐田原東部台地東縁に位置する。山名(やまな)郡に属する。永禄一一年(一五六八)一二月二一日、徳川家康から久野宗能一門同心衆に与えられた本知行のうちに「名賀嶋」がみえる(「徳川家康判物」久野文書)。正保郷帳では名荷島村とあり、高三一一石余、幕府領。うち田方二〇六石余・畑方一〇二石余、松円寺領二石。日損、松山・新田ありと注記される。寛文四年(一六六四)の井伊直好領知目録(寛文朱印留)に明島村とあり、掛川藩領。 明ヶ島村みようがしまむら 岐阜県:武儀郡上之保村明ヶ島村[現在地名]上之保村 明ヶ島津保(つぼ)川の支流小那比(おなび)川中流域に位置し、北は火打(ひうち)峠を経て郡上(ぐじよう)郡小那比村(現八幡町)、南は川合(かあい)村、東は行合(ゆきあい)村。南に出郷松本(まつもと)がある。慶長一〇年(一六〇五)の実蔵坊津保檀那目録案(経聞坊文書)に「明ケ嶋三郎兵衛」とみえる。元禄郷帳には「上ノ保明ケ嶋村」とみえ、高六三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by