上之保村(読み)かみのほむら

日本歴史地名大系 「上之保村」の解説

上之保村
かみのほむら

[現在地名]武儀町富之保とみのほ、上之保村 鳥屋市とやいち行合ゆきあい川合かわい名倉なぐら先谷さきだに山本やまもと和田野わだのみようしま船山ふなやま

現武儀町北部および現上之保村に位置する。村の中央部を津保つぼ川が湾曲しながら西南流し、同川にその支流武儀倉むぎくら川・船山谷・小那比おなび川などが合流。上保・上ノ保とも記す。永禄八年(一五六五)と推定される一一月一日の織田信長知行充行状写(備藩国臣古証文)に「五百弐拾貫文 つほ上保 下保」とみえる。また現上之保村先谷にある八幡神社に伝わる同九年一二月吉日の紀年銘をもつ鰐口には「武義郡津保上保酒谷八幡宮」、慶長一〇年(一六〇五)の実蔵坊津保檀那目録案(経聞坊文書)には「上保」とみえる。


上之保村
かみのほむら

[現在地名]糸貫町上保かみのほ

三橋みつはし村・郡府ぐんぶ村の北に位置し、北から東へかけて船木ふなき(上之保)山が延び、その南麓傾斜地と、糸貫川東岸の平野に立地。上保村、上の方村とも書いた。中世には村域内に国衙領菊松きくまつ郷が成立。慶長一九年(一六一四)と推定される莚田百姓中申状案(堀部文書)に、席田むしろだ用水山口やまぐち井堰(現本巣町)普請に出役した諸村のうちに「上の方村」とともに菊松がみえる。慶長一四年大島光政・光俊知行目録(内閣文庫蔵)によれば、旗本大島光俊は徳川家康から上之保村高一千一一三石余ほかを安堵されている。


上之保村
かみのほむら

面積:四九・二三平方キロ

県中央部、武儀郡北東部に位置し、村の北東部を源流とする津保つぼ川が村域の中央を北東から南西にかけて貫流する山間部の村。同川には村の東部で少合しようごう川、南西部で小那比おなび川・船山ふなやま谷が合流。村域の八七パーセントが山林である。北東は益田ました金山かなやま町、東は加茂郡七宗ひちそう町、北は郡上ぐじよう八幡はちまん町、北西は同郡美並みなみ村、西から南は武儀町に接する。「新撰美濃志」には「上之保・中之保・下之保三郷をすべて津保谷という」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android