明木村(読み)あきらぎむら

日本歴史地名大系 「明木村」の解説

明木村
あきらぎむら

[現在地名]旭村大字明木

現旭村の北半部を占め、四方を山に囲まれた山間部の村。北を椿西分つばきにしぶん(現萩市椿)、西を山田やまだ(現萩市山田)美祢みね絵堂えどう(現美東町絵堂)に接する。村内を萩から山口に抜ける御成道(萩街道)と、萩から赤間関あかまがせき(現下関市)に至る赤間関街道(中道筋)の二本の往還が通り、当村はその合流点にあたり、宿が置かれた。

地名は寛永三年(一六二六)の熊野帳にみえ、元禄一二年(一六九九)の郷帳には「椿村枝郷明木村」とあり、村高は七一七石七斗七升三合。「地下上申」で独立した一村となり、蔵入高が二千一三石余、給領高が三〇石余あった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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