日本歴史地名大系 「星久喜村」の解説 星久喜村ほしごきむら 千葉県:千葉市中央区星久喜村[現在地名]中央区星久喜町(ほしぐきちよう)・青葉町(あおばちよう)矢作(やはぎ)村の南東にあり、北部を都(みやこ)川が流れる。東金(とうがね)道と土気(とけ)往還は当地で分岐、道標を兼ねる延命地蔵には「右とけ道」「とうか禰道」と刻む。応永一七年(一四一〇)の香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)に円左衛門五郎分として星茎とみえ、田二丁六反半で分銭四一三文が賦課されていた。「千学集抜粋」によれば天文一六年(一五四七)妙見宮(現千葉神社)再建の木材調達は「ほしくきなか峯宮山」でも行われている。寛永一〇年(一六三三)から元禄一〇年(一六九七)まで高一四七石余が旗本辻領、高一二〇石余が同清野領で(「免状」佐野家旧蔵文書)、同一一年から佐倉藩領となり幕末に至る。同年の年貢割付状(佐野家文書)では高二六七石余、田二三町九反余・畑七町六反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報