春日八郎(読み)カスガ ハチロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「春日八郎」の解説

春日 八郎
カスガ ハチロウ


職業
歌手

本名
渡部 実

生年月日
大正13年 10月9日

出生地
福島県 河沼郡会津坂下町塔寺

学歴
会津中(旧制)中退 東洋音楽学校器楽科中退

経歴
幼少より歌が上手で、13歳で上京し歌手を目指す。昭和22年新宿ムーラン・ルージュに入団。23年キングレコードの歌謡コンクールに合格。翌24年キングレコード入社、準専属歌手となるがなまりが強く、デビューのチャンスに恵まれなかった。作曲家・江口夜詩に指導を受け、27年「赤いランプの終列車」でデビュー、この曲が大ヒットとなる。29年「お富さん」の爆発的ヒットにより不動の地位を築き、同年NHK「紅白歌合戦」に初出場を果たす。30年「別れの一本杉」などヒットをつづけ、以来シングル300枚以上、LP100枚と膨大な数を出し、昭和を代表する演歌歌手として活躍した。48年は「春日八郎リサイタル・演歌とは何だろう」の実績が評価され、芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞した。また故郷・会津坂下町民歌、会津坂下音頭を作曲、自ら歌いレコーディングするなど町の発展にも尽くした。平成7年会津坂下町に「春日八郎記念公園・おもいで館」が開館した。

受賞
紫綬褒章〔平成1年〕 日本レコード大賞(特別賞 第10回・19回)〔昭和43年 52年〕,芸術祭大衆芸能部門大賞〔昭和48年〕「春日八郎リサイタル・演歌とは何だろう」,日本演歌大賞(演歌特別功労賞 第3回)〔昭和52年〕,日本演歌大賞(演歌功労賞 第10回)〔昭和59年〕,メガロポリス歌謡祭(特別賞 第3回)〔昭和59年〕

没年月日
平成3年 10月22日 (1991年)

伝記
司会者は見た―昭和テレビ史を生きたスターたちの素顔演歌の達人高音(ハイノート)の哀しみ歌謡界銘々伝昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)―佐藤千夜子から美空ひばりへ 小川 宏 著佐藤 禀一 著南原 四郎 著塩沢 実信 著(発行元 講談社智書房,星雲社〔発売〕パロル舎第三文明社 ’08’01’94’91発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「春日八郎」の解説

春日 八郎
カスガ ハチロウ

昭和期の歌手



生年
大正13(1924)年10月9日

没年
平成3(1991)年10月22日

出生地
福島県河沼郡会津板下町塔寺

本名
渡部 実

学歴〔年〕
会津中(旧制)中退,東洋音楽学校器楽科中退

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞(特別賞 第10回・19回)〔昭和43年 52年〕,芸術祭大衆芸能部門大賞〔昭和48年〕,日本演歌大賞(演歌特別功労賞 第3回)〔昭和52年〕,日本演歌大賞(演歌功労賞 第10回)〔昭和59年〕,メガロポリス歌謡祭(特別賞 第3回)〔昭和59年〕,紫綬褒章〔平成1年〕

経歴
13歳で上京し歌手を目指す。苦難の時期を経て昭和23年キングレコードに入り、27年「赤いランプの終列車」が大ヒット。29年「お富さん」、30年「別れの一本杉」とヒットをつづけ、以来シングル300枚以上、LP100枚と膨大な数を出す。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春日八郎」の解説

春日八郎 かすが-はちろう

1924-1991 昭和時代後期の歌手。
大正13年10月9日生まれ。昭和23年キングレコードの第1回歌謡コンクールに入賞し,27年「赤いランプの終列車」でデビュー。レコード化された曲は400をこえ,おもなヒット曲に「お富さん」「別れの一本杉」「長崎の女(ひと)」などがある。平成3年10月22日死去。67歳。福島県出身。東洋音楽学校卒。本名は渡部実。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「春日八郎」の解説

春日 八郎 (かすが はちろう)

生年月日:1924年10月9日
昭和時代の歌手
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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