春松閣(読み)しゆんしようかく

日本歴史地名大系 「春松閣」の解説

春松閣
しゆんしようかく

[現在地名]熊本市東子飼町

東子飼ひがしこかい町の北側、子飼交差点に接する松雲しよううん院の南隣、白川沿いに設けられた旧細川刑部家の下屋敷で、二階建の中心建物を春松閣と称した。現在は西側に商店街が並び、奥に入った形となっているが、もとは鋤身崎すきのみざき通の東側に面していた。現在建物の主要部分が残り、かつての上級武士の下屋敷の様子をよく残す。現在の建物の大部分は明治六年(一八七三)刑部家一一代細川興増が築邸したものといわれる。刑部家は細川忠興(三斎)の五男興孝に始まる。寛永一七年(一六四〇)江戸から肥後に入国し、高麗門外安国こうらいもんがいあんこく寺に滞在した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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