子飼(読み)こがい

精選版 日本国語大辞典 「子飼」の意味・読み・例文・類語

こ‐がい‥がひ【子飼】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 鳥やけものなどを子の時から飼い育てること。
    1. [初出の実例]「こころときめきするもの、雀の子がひ」(出典:枕草子(10C終)二九)
  3. 子どもの時から雇い入れて養い育てること。江戸時代には、一〇歳前後から奉公した商家雇人職人の弟子をいった。〔日葡辞書(1603‐04)〕
    1. [初出の実例]「十のとしからこがひにて、豆腐取てこい八百屋へはしれ」(出典:浄瑠璃・心中重井筒(1707)中)
  4. 途中からではなく、初歩の段階から大切に教育したり、面倒をみたりすること。また、そのようにして育て上げられた人。
    1. [初出の実例]「私は木本良作を子飼いの弟子のように考えていたから」(出典:海市(1968)〈福永武彦〉三)
  5. 名古屋地方の花街で禿(かぶろ)のこと。
    1. [初出の実例]「座敷へ来て子飼(こガイ)そばへ」(出典:洒落本・廓の池好(1796))

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「子飼」の解説

子飼
こかい

[現在地名]熊本市東子飼ひがしこかい

白川に東接し、西は鋤身崎すきのみざき、南は北千反畑きたせんだんばた町・井川淵いがわぶち町に接し、北東にはかつて蚕養こかいノ渡があったと思われ、立田たつだ(現子飼交差点)から南西に走る通り(現子飼商店街)で三角形状に区画される。「延喜式」に蚕養駅、「和名抄」にこかい郷が記される。現在古代の蚕の地域を確定しえないが、その一部が子飼として残ると思われる。江戸時代は子飼と称し、武家屋敷であったため町名をもたなかったが、明治一三年(一八八〇)東子飼町・西子飼町となった。東子飼町は子飼薬師前こかいやくしまえ・子飼横丁・北袋きたふくろ丁・源空寺げんくうじ丁を含み、西子飼町は内検うちけん丁・鋤身崎通・火焚ひたき丁を含んだ。当町の東北端松雲院しよううんいん町があり、正式には小幡おばた町に含まれるが、この町も子飼地域に含めて様子を知る必要がある。子飼地域の西は極楽寺ごくらくじ丁を限り、鋤身崎町とは松雲院町通とそれに続く鋤身崎通によって境し、地域内に松雲院・源空寺・極楽寺東光とうこう(子飼薬師堂)があった。鋤身崎の南に構門をもつ勢溜があり、勢溜から白川に向かって東西に極楽寺南側を走る通りがあり、極楽寺丁と称し、この通りが三角形の底辺をなす(現井川淵町と東子飼町の境界道)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の子飼の言及

【丁稚】より

…また口入屋の手を経て雇い入れるものもあった。両替,呉服,太物(ふともの),肥物,薬種,綿,油,塩,米などの代表的大商人の間ではまず別家(べつけ)中の子弟をとる方針で,これを譜代,子飼(こがい)といった。雇入れの形式としては親もと,親類または宿もとの連判保証状である請状(うけじよう)を出させ,入念のうえにも大事をとったが,別家の子弟は請状を要しなかった。…

※「子飼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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