日本歴史地名大系 「是里村」の解説 是里村これさとむら 岡山県:赤磐郡吉井町是里村[現在地名]吉井町是里・河原屋(かわらや)黒本(くろもと)村・黒沢(くろさわ)村の北にあり、北に高(こう)ノ峰、西に金刀比羅(こんぴら)山がそびえ、標高約三〇〇メートルの山々が連なる高地に位置する。西には吉井高原が広がり、高原の東には血洗(ちあらい)の滝(手洗の滝)があり、血洗川が谷間を南東に流れる。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の周匝(すさい)保に村名がみえ、寛永備前国絵図によれば高七五九石余。正保郷帳には高見(こうみ)・大谷(おおたに)・鍛冶屋(かじや)・河原屋(かわらや)・延定(のぶさだ)・馬場(ばば)・山口(やまぐち)の各村が枝村として載る。明暦二年(一六五六)の検地帳写(尾関文書)では、古地・開合せて田畑九〇町七反余で、うち二〇町五反余は河原屋分、高八八五石余、うち一九三石余は河原屋分。「備陽記」は枝村として正保郷帳記載以外に船木(ふなき)・物理(もどろい)・葛(かつら)・宗成(むねなる)・高見(こうみ)をあげる。是里村の田畠六二町三反余、家数一四四・人数七四七、池二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by