昼生庄
ひるおのしよう
鈴鹿郡と奄芸郡の境界にあたる中ノ川流域に比定される。この地域は蛭(昼生)谷とよばれ、中世以後は昼生庄にちなむ中庄・下庄・上小屋(現神向谷か)の地名が残る。また中ノ川に沿って西に続く三寺・田茂・安知本および久我(現鈴鹿郡関町)を併せて昼生七郷と称し(三国地志)、昼生谷には伊勢平氏の一族が住んだという。「吾妻鏡」には伊勢国住人伊藤武者次郎(治承四年一〇月二〇日条)・蛭伊藤次(養和元年正月二一日条)などの名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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