曾井城跡(読み)そいじようあと

日本歴史地名大系 「曾井城跡」の解説

曾井城跡
そいじようあと

[現在地名]宮崎市恒久

南を源藤げんどう川、東・北・西の三方水田に囲まれる要害の地にある平山城跡。伊東氏支族である曾井氏(門川党)の曾井祐栄の孫祐善のときに築城されたと伝える。延文六年(一三六一)六月二九日の一色範親感状(土持文書)に曾井城とみえ、同月二四日土持時栄は清滝(清武)(現清武町)から曾井城に攻め寄せた軍勢との合戦の際、曾井城に馳せ参じ軍功をあげたため一色範親から賞されている。応永年間(一三九四―一四二八)島津久豊の娘が曾井氏に嫁していたため、曾井氏は島津氏に通じ伊東氏に背くこととなった。そのため都於郡とのこおり(現西都市)城主伊東祐安は、応永一九年曾井城を取囲み攻撃した。島津氏は樺山教宗・北郷知久を救援に派遣、同年九月二五日島津勢は曾井・源藤に陣取り打って出たが敗北し、高城たかじよう(現高城町)へ退いている(日向記・西藩野史)。その後も曾井氏は伊東氏に従わなかったようで、文安元年(一四四四)島津持久(北郷知久の嫡男)に通じたため伊東祐尭に攻められ落城している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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