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曾我二直庵 そが にちょくあん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曾我二直庵 そが-にちょくあん

?-? 江戸時代前期の画家。
曾我直庵の子。寛永-明暦(1624-58)のころ活躍。署名に「直庵二」,印に「二直庵」をつかい2代目をあらわした。繊細な画風のなかにも父の剛健な筆致をうけつぎ,とくに鷹(たか)の画をよくした。和泉(いずみ)(大阪府)出身。通称は左兵衛。作品に「柏鷹蘆鷺(はくようろろ)図」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

曾我二直庵

生年:生没年不詳
江戸前期の画家。推定活躍年代は寛永~明暦年間(1624~58)。法隆寺蔵の「松竹梅鷹図」3幅対に付随した「越前国曾我之家系図」(明暦2年の款記あり)には,曾我木工助(法名直庵梅室)の子の左兵衛(法名直庵順蠅)と記される。直庵の跡を継ぐ意から二直庵と名乗る一方で,「蛇足六世孫」の款記や「周文六世孫」印を用い,さかんに自らの画系の由緒正しさの喧伝に努めている。父と同じく画鷹を得意としたが,その画風には直庵画にみられる動感や豪放な気分はなく,描写は写実を離れ整合化の方向に進んだ。代表作「柏鷹蘆鷺図屏風」(大徳寺蔵)のような水墨基調の作品のほかに,金碧画も手がけ,「松・梅に鷹図屏風」(耕三寺博物館蔵)など,しっとりとして情緒的で幻想的な静けさが支配する作品を残した。<参考文献>田中豊蔵「曾我二直庵―曾我派に関する私考」(『国華』365号),奈良県立美術館曾我直庵・二直庵の絵画展/図録』

(川本桂子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の曾我二直庵の言及

【曾我直庵】より

…桃山時代の画家。生没年不詳。堺に住したと伝えられる。高野山の遍照光院と宝亀院に直庵筆の屛風が伝わり,その子二直庵(にちよくあん)の襖絵が宝亀院,普門院などに残ること,また興福寺の子院に直庵の襖絵があったという記録,当麻寺中之院に二直庵筆の障壁画が伝存していることから,直庵父子は堺を中心に高野山,南都にかけて活躍したことが推測される。法隆寺に伝来する二直庵筆《松竹梅鷹図》に付属する二直庵自筆の系図は,室町時代の漢画派曾我派の末裔であることを主張している。…

【曾我派】より

…中世から近世の漢画派。室町時代,桃山~江戸初期,および江戸中期の三つの画派もしくは画人があり,その間の系図上のつながりは不明である。(1)室町時代の曾我派 伝承では来日李朝画家の李秀文を祖とし,兵部墨渓(ひようぶぼつけい)をその子として画系の初めとする。以後,代々曾我姓を称する越前朝倉氏の家臣。墨渓以降,代々参禅して法名を持ち,特に一休禅師の禅風を受け,その肖像や関係寺院の画作に腕をふるった。墨渓の画技の師は周文で,子の夫泉宗丈(曾我蛇足(じやそく))とともに,周文流の山水画の世界をより簡素・枯淡化し,余白の多い蕭条とした水墨山水画を形成した。…

※「曾我二直庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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