曾我直庵(読み)そがちょくあん

精選版 日本国語大辞典 「曾我直庵」の意味・読み・例文・類語

そが‐ちょくあん【曾我直庵】

  1. 桃山時代画家蛇足六世を名乗る。堺で活躍。伝記は明確ではないが遺作は多い。「神馬図額」(豊臣秀頼奉納、北野天満宮蔵)に慶長一五年(一六一〇)の奉納銘がある。作風はあくが強く保守的傾向が強いが、直線的で力強い。代表作花鳥図屏風」。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「曾我直庵」の意味・わかりやすい解説

曾我直庵 (そがちょくあん)

桃山時代の画家。生没年不詳。堺に住したと伝えられる。高野山遍照光院宝亀院直庵筆の屛風が伝わり,その子二直庵(にちよくあん)の襖絵が宝亀院,普門院などに残ること,また興福寺の子院に直庵の襖絵があったという記録,当麻寺中之院に二直庵筆の障壁画が伝存していることから,直庵父子は堺を中心に高野山,南都にかけて活躍したことが推測される。法隆寺に伝来する二直庵筆《松竹梅鷹図》に付属する二直庵自筆の系図は,室町時代の漢画派曾我派の末裔であることを主張している。直庵は曾我紹祥の子であるとも伝えられるが確証はない。同時代の長谷川等伯や海北友松に比べると保守的な側面もあるが,直庵は花鳥画を中心に,直線的で鋭い表現を特色とし,画鷹の名手と伝えられている。豊臣秀頼奉納の直庵筆《神馬図絵馬》(北野天満宮)に慶長15年(1610)の銘があり,このころまでの在世が確認できる。代表作は《商山四皓・虎渓三笑図屛風》(遍照光院),《鶏図屛風》(宝亀院)。直庵の画風を受けついだ二直庵は,17世紀前半に活躍したと思われ,自筆系図の年紀から1656年(明暦2)までの生存が知られる。《柏鷹蘆鷺(はくようろろ)図屛風》(大徳寺)などの代表作がある。
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朝日日本歴史人物事典 「曾我直庵」の解説

曾我直庵

生年:生没年不詳
桃山時代の絵師。泉州(大阪)堺に住し,慶長年間(1596~1615)に没したと伝えられる。江戸時代の画史類に,越前朝倉氏に仕えた曾我蛇足の末孫曾我紹祥の子とするものがあり,直庵の子二直庵の書き残した系図でも蛇足5世孫に位置づけられている。直庵と越前曾我派を結びつける直接資料は未発見だが,直庵画風の粗々しく野性的な側面に蛇足の系統に通ずる感覚が認められることから,朝倉氏が織田信長に滅ぼされた際(1573),越前曾我派の後裔またはその門流が堺に移住した可能性も十分考え得る。花鳥,人物,山水いずれの画題もよくしたが,その作品には独特のアクの強さがあり,対象を個性的にとらえる傾向が顕著である。技法的には水墨を主体とした作品が大半で,桃山時代に流行した金地極彩色障屏画はみられない。画鷹を得意とし,「松柏に鷲図」(個人蔵)や「松鷹蘆鷺図」(個人蔵)など猛禽を扱った大画方式の屏風画には特に鋭い気迫が感じられる。禅僧の着賛を伴った押絵貼の鷹図も伝わるほか,高野山遍照光院の「商山四皓・虎渓三笑図屏風」や宝亀院の「鶏図屏風」など,高野山に多くの作品が伝えられており,そのうち年代のわかる現存作には,慶長15年に豊臣秀頼が北野天満宮に奉納した「神馬図絵馬」がある。<参考文献>源豊宗「曾我蛇足」(『日本絵画美術全集』3巻),田中豊蔵「曾我二直庵―曾我派に関する私考」(『国華』365号),奈良県立美術館『曾我直庵・二直庵の絵画展/図録』

(川本桂子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「曾我直庵」の意味・わかりやすい解説

曾我直庵
そがちょくあん

桃山時代後期の画家。慶長年間に泉州堺を中心に活躍したという。京都,北野神社の絵馬額に書かれた慶長 15 (1610) 年の年記,およびその子二直庵の画跡中に,堺の南宗寺に住した沢庵宗彭が題を付したものが多くあると『古画備考』が伝えていることなどから,在世時を類推できるが,作画活動の詳細は不明。また二直庵による法隆寺蔵『鷹図』付属の白書の系図は曾我蛇足にその祖を求めているが,直庵と蛇足との具体的関係は明らかにしえない。主要作品『鶏図屏風』 (高野山宝亀院) ,『竜虎図屏風』 (東京国立博物館) など。

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百科事典マイペディア 「曾我直庵」の意味・わかりやすい解説

曾我直庵【そがちょくあん】

安土桃山時代の画家。伝記不明。京坂を中心に活動し,晩年は堺に住んだらしい。狩野派,長谷川派等同時代各派の画家たちと同様に強健な描線と極彩色で大画面を構成,高野山宝亀院の《鶏図屏風》は著名。→曾我派

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曾我直庵」の解説

曾我直庵 そが-ちょくあん

?-? 織豊-江戸時代前期の画家。
堺にすんだとつたえられる。また曾我紹祥の子で,越前(えちぜん)(福井県)曾我氏の流れをくむといわれるが確証はない。花鳥,人物,山水画をよくし,鷹画にすぐれた。慶長15年(1610)豊臣秀頼(ひでより)が北野天満宮に奉納した「神馬図」扁額は直庵の筆になる。

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世界大百科事典(旧版)内の曾我直庵の言及

【曾我派】より

…おもな作例は,墨渓筆《一休和尚像》(少林寺ほか),《達磨像》,宗丈筆《山水花鳥図襖》(大徳寺真珠庵),紹仙筆《山水図》(根津美術館),宗誉筆《花鳥人物図》(真珠庵),《花鳥図》など。(2)桃山~江戸初期の曾我派 曾我直庵とその子の二直庵の画系をいうが,室町の曾我派との関連は不明である。ただし水墨の覇気には共通性もある。…

※「曾我直庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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