朝日日本歴史人物事典 「曾我兄弟の母」の解説
曾我兄弟の母
生年:生年不詳
平安末・鎌倉初期の女性。伊豆国住人狩野(工藤)茂光の孫。はじめ伊豆国目代左衛門尉仲成に嫁ぎ,1男1女を生み,仲成の上京後,河津三郎祐泰に嫁ぎ,一万(曾我十郎祐成),箱王(曾我五郎時致),伊東禅師を生む。祐泰が工藤祐経に殺害されたのち,一万・箱王のふたりの子供を連れ,曾我祐信に再嫁し相模国足柄郡曾我の地に住む。一万は元服して継父の名を取り,十郎祐成と名乗ったが,弟は箱根で僧侶となるはずを還俗して元服したため,母はこれを勘当したが,のちにこれを許した。兄弟が富士野で父の仇を討ったのちは,祐成の愛人大磯の虎と共に箱根に登り,ふたりの供養をし,後年,大磯の高麗寺に出家した虎,手越の少将を訪ねている。60歳ほどで亡くなったという。
(飯沼賢司)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報