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曾我兄弟の母 そがきょうだいの はは

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曾我兄弟の母 そがきょうだいの-はは

?-1199 平安後期-鎌倉時代の女性。
2度めの夫の伊豆(いず)河津(静岡県)の武士河津祐泰(すけやす)との間に,一万(曾我祐成(すけなり)),筥(箱)王(曾我時致(ときむね))を生む。祐泰が工藤祐経(すけつね)に殺されたのち,2子をつれて曾我祐信にとつぐ。建久4年祐成・時致兄弟が仇討ちしたのち出家した。正治(しょうじ)元年死去。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

曾我兄弟の母

没年:正治1(1199)
生年:生年不詳
平安末・鎌倉初期の女性。伊豆国住人狩野(工藤)茂光の孫。はじめ伊豆国目代左衛門尉仲成に嫁ぎ,1男1女を生み,仲成の上京後,河津三郎祐泰に嫁ぎ,一万(曾我十郎祐成),箱王(曾我五郎時致),伊東禅師を生む。祐泰が工藤祐経に殺害されたのち,一万・箱王のふたりの子供を連れ,曾我祐信に再嫁し相模国足柄郡曾我の地に住む。一万は元服して継父の名を取り,十郎祐成と名乗ったが,弟は箱根で僧侶となるはずを還俗して元服したため,母はこれを勘当したが,のちにこれを許した。兄弟が富士野で父の仇を討ったのちは,祐成の愛人大磯の虎と共に箱根に登り,ふたりの供養をし,後年,大磯の高麗寺に出家した虎,手越の少将を訪ねている。60歳ほどで亡くなったという。

(飯沼賢司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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