曾我時致(読み)そがときむね

精選版 日本国語大辞典 「曾我時致」の意味・読み・例文・類語

そが‐ときむね【曾我時致】

  1. 鎌倉初期の武士五郎と称す。兄十郎祐成とともに父の仇、工藤祐経(すけつね)を討ったが捕えられ、頼朝によって梟首(きょうしゅ)された。承安四~建久四年(一一七四‐九三

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朝日日本歴史人物事典 「曾我時致」の解説

曾我時致

没年:建久4(1193)
生年:承安4(1174)
平安末・鎌倉初期の武士。幼名箱王。五郎と号した。父は河津祐泰。3歳のとき,祖父伊東祐親と一族工藤祐経の所領争いから,父が殺害された。その後母が相模国(神奈川県)住人曾我祐信に再嫁したため,曾我荘で育った。母は箱根に入れて僧侶にしようとしたが,建久1(1190)年に北条時政を烏帽子親として元服し,時致と名乗る。4年,源頼朝富士野で巻狩を行ったときに,兄祐成と共に神野の旅営を襲い,工藤祐経を討ち果たした。さらに頼朝を襲い捕縛された。頼朝は一旦許そうとしたが,工藤祐経の子息犬房の訴えにより処刑された。

(飯沼賢司)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曾我時致」の解説

曾我時致 そが-ときむね

1174-1193 鎌倉時代の武士。
承安(じょうあん)4年生まれ。河津祐泰(すけやす)の次男。安元2年同族間の所領争いで父が工藤祐経(すけつね)に殺され,母が再婚した曾我祐信(すけのぶ)のもとでそだつ。建久4年5月28日,源頼朝の富士の巻き狩りの場で兄祐成(すけなり)とともに仇討ちをはたしたが捕らえられ,翌日殺された。20歳。のちこの事件は「曾我物語」として文芸化された。伊豆(いず)河津荘(静岡県)出身。幼名は筥(箱)王。通称は五郎。

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