曾良村(読み)そらむら

日本歴史地名大系 「曾良村」の解説

曾良村
そらむら

[現在地名]穴水町曾良・大郷おおさと

七尾北湾に面し、内浦街道が通る。東はかぶと村、西は鹿波かなみ村。南は大口おおくち瀬戸を隔てて能登島(現能登島町)と相対する。享禄五年(一五三二)五月、内浦沿岸部の在所の長衆が能登畠山氏の催促で出仕した穴水村・諸橋六郷長衆交名案(諸橋文書)に、諸橋六郷の衆として曾良の番頭がみえる。戦国後期頃には温井七郎の知行分であった(「能登内浦村々給人注文写」同文書)年次に検討の余地がある文応二年(一二六一)六月一三日の諸橋六郷田数目録(諸橋稲荷神社文書)によれば、鹿波とは「フトノヒラ岩海共ニ」を地境としている。天正一五年(一五八七)の年貢皆済状(細木文書)に「天正十四年分 諸橋之内 曾羅村 一弐百卅三俵二斗八升七合五夕 此内三俵 番頭ニふち」とあり、中世以来の土豪坂東氏に三俵が扶持された。同二〇年と推定される能登島向田神明宮拝殿建立棟札(伊夜比神社蔵)に「諸奉伽 曾良村 上野衛門 佐藤右衛門 七郎衛門」の名がみえ、早くからの能登島との関係が注目される。慶長七年(一六〇二)の鵜川天神堂奉加札(能都町菅原神社蔵)に「一俵半表 米 可なミ惣中 そら村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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