デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「最助法親王」の解説 最助法親王 さいじょほうしんのう 1253-1293 鎌倉時代,後嵯峨(ごさが)天皇の第12皇子。建長5年生まれ。母は四条隆衡(たかひら)の娘,按察三位局(あぜちのさんみのつぼね)。前中納言吉田為経に養育される。文永2年三千院にはいって澄覚法親王の弟子となり,同年親王。弘安(こうあん)9年天台座主(ざす),のち四天王寺別当。正応(しょうおう)6年2月4日死去。41歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「最助法親王」の解説 最助法親王 没年:永仁1.2.4(1293.3.13) 生年:寛元3(1245) 鎌倉後期の天台宗僧。後嵯峨天皇の子。母は藤原隆衡の娘で按察三位局。後嵯峨天皇の命によって近臣吉田為経に養育され,弘安9(1286)年天台座主となった。梶井門跡を継ぐ。伏見天皇の護持僧も勤めた。没年月日には異説がある。 (土谷恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報