コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

大休正念 だいきゅうしょうねんDa-xiu Zhengnian

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大休正念
だいきゅうしょうねん
Da-xiu Zhengnian

[生]嘉定8(1215).温州
[没]正応2(1289).11. 鎌倉
中国,南宋臨済宗の僧。仏源禅師。大休 (仏源) 派の祖。径山の石渓心月の門下。文永6 (1269) 年日本に渡り,鎌倉寿福寺円覚寺建長寺を歴住し,浄智寺の開山となり,蘭渓道隆,無学祖元らとともに鎌倉の禅宗の興隆に尽した。弘安9 (86) 年の『書状』 (東京国立博物館) などすぐれた墨跡を残したが,書風は太く重々しい感じを特色とする。著書に『大休正念語録』 (6巻) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

だいきゅう‐しょうねん〔ダイキウシヤウネン〕【大休正念】

[1215~1289]鎌倉時代臨済宗の中国僧。大休派の祖。温州永嘉浙江省)の人。北条時宗招きを受けて文永6年(1269)来日し、建長寺・円覚寺などに歴住、浄智寺を開創した。仏源禅師。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大休正念 だいきゅう-しょうねん

1215-1290* 南宋(なんそう)(中国)の僧。
嘉定8年生まれ。臨済(りんざい)宗。文永6年北条時宗のまねきで来日。鎌倉の禅興寺,建長寺,寿福寺,円覚寺の住持をつとめ,浄智寺をひらき,20年にわたって鎌倉武士に禅をひろめた。仏源派(大休派)の祖とされる。正応(しょうおう)2年11月30日死去。75歳。諡号(しごう)は仏源禅師。著作に「大休念禅師語録」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

大休正念

没年:正応2.11.29(1290.1.11)
生年:嘉定8(1215)
鎌倉時代に来日した臨済宗松源派の禅僧。日本禅宗の仏源派の祖。温州(浙江省)永嘉の人。蘇州(江蘇省)万寿寺の東谷妙光に曹洞宗を学び,さらに杭州(浙江省)径山の石渓心月の法を嗣いだ。文永6(1269)年に来日して執権の北条時宗の帰依を受け,鎌倉の金峰山浄智寺(五山第四)の開山となった。また禅興寺,寿福寺,建長寺,円覚寺などに住し,無学祖元らと共に鎌倉禅林の確立に尽力した。同門に無象静照がいる。諡号は仏源禅師。『念大休禅師語録』が存する。

(佐藤秀孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

だいきゅうしょうねん【大休正念】

1215~1289) 鎌倉時代の臨済宗の中国僧。大休派の祖。浄智寺開山。1269年来日。北条時宗の要請で建長寺・円覚寺などに歴住した。諡おくりなは仏源禅師。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大休正念
だいきゅうしょうねん
(1215―1289)

鎌倉時代の臨済(りんざい)宗の来朝僧。大休派(仏源(ぶつげん)派)の祖。中国温州(浙江(せっこう)省)永嘉(ようか)の人。初め霊隠(りんにん)寺の東谷妙光(とうこくみょうこう)(?―1253/1254)に師事し、のち石渓心月(しっけいしんげつ)(?―1255)に法を嗣(つ)ぐ。先に帰朝していた同門の無象静照(むぞうじょうしょう)(1234―1306)の推薦により、北条時宗(ほうじょうときむね)の招きを受けて、1269年(文永6)来日。蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の厚遇を受け、禅興寺、寿福寺、建長寺、円覚(えんがく)寺に歴住、浄智寺(じょうちじ)を開創した。時宗のほか、貞時(さだとき)や時宗の弟宗政(むねまさ)(1253―1281)らと交渉をもち、鎌倉武士に多大な感化を与えた。正応(しょうおう)2年11月75歳で示寂、仏源禅師と諡(おくりな)された。『語録』6巻がある。[石川力山]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

大休正念の関連キーワード双峰宗源秋礀道泉寂庵上昭大川道通東巌慧安南山士雲五山文学北条顕時嶮崖巧安鉄庵道生総覚

今日のキーワード

歌舞伎町ブックセンター

東京都新宿区歌舞伎町にある、ホストやホステスが書店員として接客する書店。歌舞伎町でホストクラブを運営するスマッパグループの事務所1階にあるイベント・カフェスペース「jimushono1kai」に併設さ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android