1902年製作のフランス映画。無声。SF(空想科学)映画の元祖とみなされると同時に,〈シナリオ〉にもとづいて演出された最初の作品として映画史上画期的なジョルジュ・メリエスのトリック映画。ジュール・ベルヌの同名の小説から着想を得て,天文学者の一行がロケット砲に乗って月に着陸し,月世界の人間たちと戦い,捕虜になるが,脱出して海に落ち,帰国するまでの物語を30画面に分割し(カット割り),それを総合(すなわち編集)するという,それまでにない〈映画的な〉技法を用い,845フィートの作品にまとめあげたもの。シュルレアリスム映画やウォルト・ディズニーの〈ファンタジー〉に大きな影響をあたえた。1908年,《月世界探険》の邦題で初公開されている。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…飛ぶことのできたうれしさのあまり太陽に近づきすぎ,翼を固めた蠟が溶けて墜死したギリシア神話のイカロスの話はその例としてあげることができる。また2世紀にはギリシアのルキアノスによって,月世界旅行のSFの第1号ともいえる,暴風雨で月まで飛ばされた船と乗組員の話がつくられている。 その後,17世紀ごろまで目だったものはなかったが,地球と宇宙そのものに対する理解が深まるとともに,多くの人によって宇宙旅行が空想されるようになった。…
…これは一種の疑似体験としての世界最初の視聴覚メディアの実験でもあった。次いで1902年,フランスの奇術師G.メリエスがJ.ベルヌの空想科学小説から初の〈SF映画〉《月世界旅行》を完成した。 第1次世界大戦直後の19年,ドイツ表現主義映画の最初の傑作として名高いR.ウィーネ監督の《カリガリ博士》が,マッド・サイエンティスト(狂った科学者),その実験から生まれた怪物,怪物に襲われる美女という〈怪奇映画〉のパターンを創造した。…
…初期の映画は監督あるいはカメラマンの即興でシナリオなしで撮影された。シナリオに基づいて撮影された最初の映画はジョルジュ・メリエスの《月世界旅行》(1902)といわれ,場面ごとに順を追ってプロットを立て撮影された。チャップリン,ロイド,キートンらの喜劇も最初はシナリオを使わず,むしろギャグのアイデアを書くだけのもので,シナリオライターというよりはいわゆるギャグマンあるいはギャグライターにすぎなかった(例えばフランク・キャプラ監督はハリー・ラングドンの喜劇のギャグマンから出発した)。…
…また58年には気球に乗り,世界最初の空中写真の撮影を試みたり,61年には3ヵ月をかけてパリの地下に発見されたカタコンベ(地下納骨堂)の撮影を,当時ようやく開発されたアーク灯による人工照明で撮影している。ナダールの波瀾に富んだ経歴はJ.ベルヌの《月世界旅行》の主人公のモデルとしても反映されているといわれる。彼が残した数々のポートレートやドキュメントは,単にパイオニアというだけではなく,完成された独自の世界をもって今も息づいており,とくにそのポートレートはすぐれた芸術的古典といいうるものであろう。…
…97年には,パリ郊外のモントルイユの邸宅の庭にヨーロッパで最初のグラス・ステージを中心とした撮影所を作り,手工業的であった映画作りを改め,職能を分化した映画の製作システムを確立,トリックを自在に使った荒唐無稽な喜劇や幻想的な映画を作った。 ジュール・ベルヌの冒険科学小説からヒントを得て作った《月世界旅行》(1902)がその代表作の1本で,トリックの効果を高めるために,単なる実写ではなく〈ストーリー〉を導入したことは,映画史でも特筆される重要な足跡である。しかし,やがてトリック映画のものめずらしさが薄れ,また,シャルル・パテー(1863‐1957)やレオン・ゴーモン(1864‐1946)に代表される近代的な映画企業に圧倒されて,1923年に〈スター・フィルム〉社は破産する。…
※「月世界旅行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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