朝日日本歴史人物事典 「月形洗蔵」の解説
月形洗蔵
生年:文政11.5.5(1828.6.16)
幕末の筑前国福岡藩士。通称駒之助,格庵と号す。藩儒月形深蔵の長子。嘉永3(1850)年,家禄100石を相続,馬廻組。万延1(1860)年の桜田門外の変後,時局収集に向かおうとする藩主黒田長溥に佐幕から尊王攘夷への路線転換を迫り,参勤中止を求める。さらに福岡藩軍旗を「五大州万国迄も輝かせるべき」であると建白書を提出するが,藩政を妨げたとして家禄没収のうえ幽閉された(辛酉の獄)。元治1(1864)年赦免され,長州亡命中の三条実美らを太宰府に引き移した。ところが慶応1(1865)年,第2次長州征討の開始とともに藩論は一変,勤王党弾圧(乙丑の獄)のなか枡木屋の刑場で斬首された。<参考文献>『福岡県史』2巻上
(岩下哲典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報