有喜村(読み)うきむら

日本歴史地名大系 「有喜村」の解説

有喜村
うきむら

[現在地名]諫早市有喜町・鶴田町つるだまち中通町なかどおりまち天神町てんじんまち松里町まつざとまち

小鹿倉こがくら村の南東に位置し、たちばな湾に臨む。中世より有喜・宇岐などとみえ伊佐早いさはや庄のうちであった。観応二年(一三五一)一二月二五日の足利直冬宛行状(来島文書)に「高来伊佐早庄内宇岐古里」とみえ、当地の加野津三郎入道女子跡二五町や壱岐筑前筑後などの地頭職が勲功の賞として(壱岐島長島次郎跡などの替地として)松浦大島小次郎聞に与えられている。また西郷氏の宇木城が築かれ、南北朝期に攻防があった。フロイス「日本史」によれば、一五七二年(元亀三年)頃のこととしてユウキは伊佐早城から三里離れた所にあり、伊佐早の湊で、当時肥後国から来た数人の商人がいたという。

近世は肥前佐賀藩親類同格の諫早家領で、有喜街道(島原街道)が通る。慶長国絵図に「宇木」とみえ、高六千六一七石余で、宇木のうちとして宗方むなかた小野おの長野ながの唐子からこ(唐比)井牟田いむた(現森山町)うら田結たゆい(現飯盛町)戸石といし(現長崎市)が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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