有智山城跡(読み)うちやまじようあと

日本歴史地名大系 「有智山城跡」の解説

有智山城跡
うちやまじようあと

[現在地名]大宰府市内山

宝満(ほうまん)山西側山腹にあった南北朝時代の山城。内山(うちやま)城とも記される。少弐氏の居城。建武三年(一三三六)二月、少弐頼尚は主たる軍勢を引連れ長門国赤間関(あかまがせき)(現山口県下関市)に足利尊氏を迎えに行った(梅松論)。そのすきに後醍醐天皇方の菊池武敏らは二月二九日「有智山城」を攻撃し、頼尚の父貞経は自刃した(「太平記」巻一六、「梅松論」、建武三年三月二〇日「少弐頼尚書下」広瀬文書/南北朝遺文(九州編)一)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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