有馬頼咸(読み)ありま よりしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「有馬頼咸」の解説

有馬頼咸 ありま-よりしげ

1828-1881 幕末-明治時代の大名
文政11年7月17日生まれ。有馬頼徳(よりのり)の子。弘化(こうか)3年兄頼永(よりとお)の跡をつぎ,筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)藩主有馬家11代となる。殖産興業奨励や近代的軍備の導入などをおこなう。明治4年大楽源太郎らの藩内隠匿(いんとく)に関し,新政府より謹慎処分をうけた。明治14年5月21日死去。54歳。初名は慶頼(よしより)。号は対鴎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の有馬頼咸の言及

【久留米騒動】より

…幕末久留米藩における藩内闘争。1844年(弘化1)久留米藩10代藩主となった有馬頼永(よりとう)は,水戸学の影響をうけた村上守太郎ら天保学派の支持を得て藩政改革に着手,大倹令を発し軍制改革を断行したが,わずか2年にして急逝し,藩政改革は挫折した。46年,弟の頼咸(よりしげ)が11代藩主に就任すると,天保学派は真木和泉らの外同志と村上守太郎らの内同志に分裂し,50年(嘉永3)江戸赤羽の久留米藩邸における村上守太郎の参政馬淵貢に対する刃傷事件にまで発展した。…

※「有馬頼咸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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