服部けさ(読み)ハットリ ケサ

20世紀日本人名事典 「服部けさ」の解説

服部 けさ
ハットリ ケサ

大正期の医師



生年
明治17(1884)年7月19日

没年
大正13(1924)年11月22日

出生地
福島県岩瀬郡須賀川村(現・須賀川市)

学歴〔年〕
東京女医学校

経歴
在学中、友人の薦めで熱心なキリスト教徒になる。卒業後の大正3年に医師の資格を取得。この頃からハンセン病医療を志し、三井慈善病院の看護婦となった。6年イギリス人女性宣教師コーンウォール・リーが群馬県草津温泉にハンセン病療養院・聖バルナバ病院を設立すると、招かれて専属女医となり、看護婦業務も兼務。さらに、貧しさのために十分な治療を受けられないハンセン病患者のための医療施設開設を志し、13年10月草津に近い粟生に鈴蘭園を開くが、その直後に急死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部けさ」の解説

服部けさ はっとり-けさ

1884-1924 大正時代の医師。
明治17年7月19日生まれ。服部躬治(もとはる)の妹,水野仙子(せんこ)の姉。ハンセン病患者の療養にふかい関心をもち,東京の多摩全生園で治療法を研究。大正13年群馬県に鈴蘭医院を創立するが,23日後の11月22日病死。41歳。福島県出身。東京女医学校(現東京女子医大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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